百首屏風「不二の雪」
与謝野晶子
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百首屏風「不二の雪」与謝野晶子
- ひゃくしゅびょうぶ「ふじのゆき」
- 縦1650mm 横1560mm
- 昭和初期
70首もの和歌を詠んだ屏風。代表的な歌として知られる「劫初より造りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つうつ」も含まれています。晶子の繊細で滑らかな筆遣いもみどころです。
コレクション
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四角形箱形松唐草文ボンボニエールしかくけいはこがたまつからくさもんぼんぼにえーる 縦50mm 横32mm 高32mm 大正11年秩父宮殿下成年式内宴の記念品。唐草文は古代中東や中国でも見られる縁起文で、蔦が切られても伸び行く姿から生命力の強さを意味します。
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能人形「住吉詣」光源氏のうにんぎょう「すみよしもうで」ひかるげんじ 縦520mm 横810mm 高720mm 江戸時代後期柳営伝来、つまり幕府旧蔵として伝わる人形です。能楽を題材にした「能人形」と言われるものです。御所人形の中でも特に入念な作風を示し、制作された当時から大変珍重された人形です。御所人形の中では最も大型で、そのうえ衣裳は本格的な能衣装を着用しています。葵の葉をデザインとしてあしらわれています。
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備前角花生びぜんかくはないけ 縦115mm 横210mm 高450mm 平成時代花生というタイトルをつけながら、オブジェとしての存在感も放つ作品。特異な造形感覚で力強く立ち上げた土にさりげない緋襷模様と白い素地が光ります。伝統に造形を求めた淳の渾身一作です。
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軸紙本「三舟の書」じくしほん「さんしゅうのしょ」 縦1370mm 横315mm 江戸時代後期江戸末期の幕臣で名前の語尾に舟がつくことから、「幕末の三舟」として知られる三名の書です。
庭下黄花一酔月 高橋泥舟
煙開蘭葉香風暖 山岡鉄舟
恭己毎従儉清心常保真 勝海舟 -
備前耳付水指びぜんみみつきみずさし 径270mm 高194mm 昭和時代ぽってりと上部に厚みを持たせた胴部の両脇には、ふんわりとした耳が取り付けた親しみのわくフォルム。抜け、焦げ、胡麻だれと一つの作品で変化に富んだ景色が見られる贅沢な水指となっています。茶陶の名品を生んだ素山の作品の中でもひときわ強烈な存在感を放つ傑作です。
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丸型香合型松喰鶴文ボンボニエールまるがたこうごうがたまつくいつるもんぼんぼにえーる 径52mm 高18mm 大正8年皇太子殿下(昭和天皇)成年式午餐の記念品。鶴が松の枝をくわえたモチーフ。西洋で鳩がオリーブの枝をくわえているデザインは復活を表し、この縁起にちなんで日本でも和様化させたものだと伝わっています。
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御所人形 武者ごしょにんぎょう むしゃ 縦190mm 横330mm 高580mm 江戸時代後期江戸徳川家の旧蔵品。御所人形の中でも最も朗らかな表情を浮かべる武者人形ですが、腰には刀を二本携帯しています。武者の姿をした御所人形は他に例がありませんが、葵の紋をあしらった武家らしい衣裳を身にまとっています。
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明治皇后人形めいじこうごうにんぎょう 奥行470mm 幅470mm 高650mm 明治~昭和初期明治皇后だった昭憲皇太后の姿を表した人形。御帳台と呼ばれる皇后の玉座は、塗りで仕立てられ、畳縁にも細やかな文様がみられ厳かな印象を与えます。写真や映像で遺されていない当時の様子を再現した、珍しい人形です。
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備前擂座花器びぜんるいざかき 径330mm 高275mm 昭和50年代銅が張り、上部に胡麻が流れた壷は、「壷の雄」という異名を持った雄の作品の中でも代名詞といわれる作品です。厚い器壁に、ずっしりとした重厚感。これに対比させたかのような耳が愛嬌を醸し出しています。韓国国立現代美術館に出品された作品。
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九谷風徳利径65mm 高145mm 昭和10年頃数ある徳利の中でも最も端正に仕上げられたものです。丁寧な九谷の絵付けに見られるのは、河骨という植物。沼や沢に自生する多年草で夏に黄色い花を咲かせます。この河骨は古くから家紋にも使用されてきた植物ですが、これをモチーフ化させて、端正な中にも遊び心表現しています。
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真葛窯藤之畫花瓶まくずがまふじのえかびん 径360mm 高478mm 明治〜昭和初期仁清の最高傑作である色絵藤花図茶壷の図案に倣った作品で、花瓶という名称ですが茶壷特有の四つ耳が取り付けてあります。本歌よりも色彩を落ち着かせ、より写実的に葉の緑釉の濃淡を出し、自由に伸びる蔓の曲線にもオリジナル性を表現しています。また縁取りを金彩で行うことで、上品さを醸し出しています。
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御所人形 萬歳ごしょにんぎょう まんざい 才蔵:縦110mm 横190mm 高150mm 太夫:縦150mm 横390mm 高340mm 江戸時代後期萬歳は三河からやってくる太夫と房州の才蔵とがコンビを組み、おもしろおかしい文句を並べて笑いを誘う芸です。三河出身の徳川家によって優遇されたことから、江戸城や大名屋敷の座敷にあがることもできました。そのため太夫は武士のように帯刀し、大紋の着物の着用を許され、頭には烏帽子をかぶり大名と同格の姿をしていました。
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吹墨風星岡茶寮文字瓶掛ふきずみふうほしがおかさりょうもじびんかけ 縦210mm 横210mm 高204mm 昭和初期瓶掛とは火鉢のことで、星岡茶寮を訪れた客人のために制作されたものです。食器にとどまらず、食を楽しむ空間すべてを自らの演出で彩りたいという魯山人の想いの感じられる作品です。それぞれ「星岡茶寮」の字体が違っており、そうした変化も見る者の楽しみのひとつです。
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乾山写芙蓉之畫菓子器けんざんいふようのえかしき 径183mm 高100mm 明治時代生気あふれる芙蓉の表情を乾山風にデフォルメ化して描いた菓子器。赤い芙蓉には金の縁取り、白い芙蓉には銀の縁取りをして艶やかさを強調しています。また、葉のみずみずしい色彩表現や凹凸に彫り込んだ口縁の表現を用いることにより、この植物の最高の瞬間を止めたかのような躍動感を与えています。
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水彩「良寛」すいさい「りょうかん」 縦340mm 横425mm 昭和35年「良寛も 酒をこのみき酒のめば をどりもしたり をどりたくして」
歌人・書家の清水比庵は「今良寛」とも呼ばれており、本人も良寛に対する敬慕の念を強く持っていました。良寛の書体だけでなく、清貧でありながら心豊かな芸境を過ごした生き方に対しても強い憧れをもっていました。