中村草田男 句集「長子」より「降る雪や 明治は遠く なりにけり」2020年10月12日
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巨匠の和歌と俳句展
岡山・吉兆庵美術館にて開催中の「巨匠の和歌と俳句展」では、江戸時代の松尾芭蕉や良寛をはじめ、明治から昭和にかけて活躍した歌人や俳人の作品、約50点を一堂に公開しています。 全部で18人の作品が楽しめ、今回の「美術館のピックアップ情報」では、中村草田男の名句をご紹介します。
中村草田男
明治34年(1901年)7月24日―昭和58年(1983年)8月5日。
本名清一郎。中国厦門(アモイ)に生まれる。4歳で愛媛県松山に帰国。東京帝大文学部国文科を卒業。昭和4年、高濱虚子に入門し、「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなどの西洋思想から影響を受け、生活や人間性に根ざした句を模索。石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。昭和21年「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとして様々な俳句論争で主導的な役割をもった。句集に「長子」「万緑」など。評論・メルヘンなどの著作も多い。
下記写真:公益社団法人俳人協会提供
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」
<解釈>
雪がさかんに降りだしてきた。(その雪に現実の時を忘れ、今が明治時代であるかのような気持ちになっていたが、ふと現実に返り)明治は遠くなってしまったとしみじみ痛感したのである。
<解説>
この句は、老境を迎えた明治生まれの作者が、火鉢にあたりながら、電気もラジオもなかった静かな明治時代、遠い昔の明治を懐かしがって作ったものだろう、ではありません。
この句を作った中村草田男は老年でも壮年でもなく、まだ31歳でした。
昭和6年(1931)、東京・青山にある母校の小学校を20年振りに訪れた草田男は、下校する小学生を見かけ「後輩たちの思いがけない姿に衝撃」を受けます。
「裏門から走り出してきたのは金ボタンの外套(がいとう)を着た児童たちであった。作者の幻想の中では、黒絣(くろがすり)の着物を着、高下駄をはき、黄色い草履袋をぶら下げた明治末期の小学生でなくてはならなかったのに。」(悠久の名詩選より)
昭和の時代に入り大人になった作者が、改めて明治を振り返ったとき、元号の変わり目を体験し、粛々と明治を見送った子供時代の感慨を詠んだ句だと思われます。
岡山・吉兆庵美術館にて開催中「巨匠の和歌と俳句展」
その人の人柄や性格を映し出すといわれる書。この機会に教科書にも登場する歌人・俳人たちの直筆の句をご覧になりませんか。
岡山・吉兆庵美術館(岡山市北区幸町7-28)
企画展:「巨匠の和歌と俳句展」
会期:令和2年9月8日~11月8日